詩を楽しむこと
Mae govannen!
ありゃれんです。
すっかり冬になりましたね。そして相変わらずサークルらしいことも出来ず、怠惰でマイペースで気まぐれな管理人です。
もうサークルというより同好会、むしろ一人のオタクが自己満足に何か言ってるぞという感じなんですが、それでもTwitterの方で反応してくださる方々にはいつも感謝してしております。
秋に何か書こうかと思っていたのですが、やや忙しくこの時期まで持ち越してしまいました。
ここに書きたいお話はその気で考えれば幾つでも思い浮かぶのですが、『力の指輪』も何だかんだ見られていなくて、シルマリルも周回もっと読み込みたいのですが、1日で色々とまとめるにはやはり難しい。
一度熱中してしまうと食事もそっちのけで、というか食事しながらでも進めてしまうタイプなのです。
ということで今回は、トールキン作品とはやや外れた話題を挙げてみたいと思います。それが
英詩の楽しみ方。
需要あるかなー?と思っていたんですが、やはりこの界隈から英文学の沼に片足突っ込んだ学生としては、この良さを伝えずにはいられない。
こういうことこそ、動画や音声にして発信してみたい!というのは今は置いておきます。
というのも、とある授業でジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』を読んでいたのですが、ある後輩が「語順がひっくり返ってるのが気になる」とやや疑問そうに言っていたのがきっかけです。
普段から日英問わず詩を嗜んだり、トールキン作品には欠かせない数多の詩を読んでいる方々なら、それを読んだとしてあまり疑問にはならないかな?と思ったのが本音です。
詩には言語を問わず多種多様な形があるのです。
そして深く考えずにはいられない。
「読んでいて「良いなぁ」と思う物には、やはり理由があるのでは?」
それ踏まえた上で、少しですが好きな英詩をここに書いてみようと思います。
古代の英詩
古代、というワードチョイスで悶々としましたが、言ってしまえば古英語の詩です。
この時代のもので代表的なのは、ダントツで『ベオウルフ』。他にも挙げればキリがありませんが、一番よく知られているのはこれです。
トールキンも研究し訳した作品ですが、奥深さはやはり計り知れない。
Hwæt! Wé Gárdena in geárdagum
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þéodcyninga þrym gefrúnon,
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hú ðá æþelingas ellen fremedon.
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力強い始まりが印象的なこの詩。この部分だけは暗唱できるようになりました。
ただのファンタジーの原点、英雄譚かと思えば、言語的にも文学的にも特徴がたくさん出てきて面白い作品です。リサーチしたものを書いているとキリがないので、ここではやめておきますが。
古英詩の特徴といえば頭韻。勿論現代英語でも日本語でも訳が出ております。だけどこの詩の良さをそのまま訳に持って来られるお方は、私もあまり知りません。
そのダントツとも言えるトールキンの訳を先に読んでしまうと、どうしても・・笑
そしてその原文、つまり古英語ママを読むのも楽しいんです。
現代英語と似ている部分もあり、ゲルマン諸語(特に北欧)を理解している方なら割と読み進められそうですが、やはり難しい。
それでも声に出して読んでみると、何故かその美しさがわかる。気がする。
ベオウルフは作者不明ですが、作者が分かっている詩の一部ではファンならご存知、映画でも読まれたあの一節が管理人のお気に入りです。
Éalá Éarendel, engla beorhtast,
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ofer middangeard monnum sended, | |
ond sóðfæsta sunnan léoma,
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torht ofer tunglas, þú tída gehwane
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of sylfum þé symle inlíhtes!
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いやぁ、暗唱したい。
Cynewulfによる詩は他にも残っており読むことができます。同時期で他に名前が知られていた詩人はCaedmonやBedeといった所でしょうか。
この時代は作者不明のものもあるのですが、何にしろ、昔の詩人が持っていたテクニックには驚かされます。
そして思うのが、トールキンの書く詩には、その独創性が強く現れていながら、これらに似た印象を覚えます。
中世の英詩
代表的なのが、先ほど挙げたカンタベリー物語、トールキンも訳した『サー・ガウェインと緑の騎士』。『梟とナイチンゲール』もあるでしょうか。
ちなみにサー・ガウェインは、「グリーン・ナイト」という映画が秋に公開されています。(管理人はまだ観ておりません・・・)
カンタベリーは英詩の父と言われるチョーサーの代表作。ロンドンの宿にいた著者が、カンタベリー大聖堂に向かう巡礼者たちに出会い、道中でそれぞれ面白い話をしてみようというお話。
現代英語はオックスフォードのBlackwellで購入したものを使用しておりますが、非常に評価が高いとのこと。本当に読みやすくて美しい訳です。
中英語ですが、中英語を勉強していない人でも多分読めるのではないか?と思う程読みやすい(一部単語は難しいですが)。というのも、書かれた英語がロンドンの英語だからです。
それがやがて広まって、イングランドで標準的な英語の形となった。
そして詩の特徴が、脚韻を踏んでいるということ、そしてリズムは弱強5歩格のIambic pantameter。弱いアクセントの後に強いアクセントが続く、これが5回。
これを声に出して読んでみると、何だか楽しい。
現代英語に比較的近い形というのもあるのでしょうが、模範的とも言える綺麗な詩の形が、読みやすさから物語へと引き込んでいく。少なくとも管理人はそんな印象を受けます。
英語の詩には様々な韻律があり、型にハマったりハマらず自由になったりする。しかし決まったリズムに言葉がはまると、たちまちその音楽性を発揮する。
物語なので、そのインパクトを読み手に伝えるのに、アクセントの緩急がいい味を出すのです。
加えて後ろで音が揃うと、何だか気持ちいい気がします。稚拙な例えですが、本棚や作業場を思い通りにピシッと整理整頓できた時のような感覚。
韻律にも脚韻にも、「物」を「語る」手法として、人の目を惹きつける効果があるんですね。
心理言語学はよくわからないのですが、この手法には何か人間の心理が働くメカニズムがあるのか?と考えています。
こういうのは、理系のアプローチを取れば分かるものがあるかもしれないですね。
一方で『ガウェイン卿と緑の騎士』は、読むのが難しい。
チョーサーとほぼ同じ時代ですが、北西部の方言で書かれたものなので、他の言語の影響がまだ残っており、中英語を勉強していても「?」となる部分が多いのです。
と言っても、管理人はまだまだ素人ですが・・・
こちらはトールキンによる英訳でいつも楽しんでおります。写本のテキストと中英語テキスト、現代英語テキストでまとめて読みたいときは、いつもこちらを使用させていただいています。
界隈の方も使う方が多いかもしれない。いつもお世話になっております。
ちなみにこちらのサイトには、先ほど紹介したベオウルフも一部載っております。
宮廷で祝宴を開いていたら、全身緑の騎士がやってきて、首切りゲームをしないかと誘う。名乗り出たガウェインは、次は私が首を切られようと約束を交わして旅に出ていく。
この詩の特徴は、伝統的な頭韻。古英詩と同じです。そして連の終わり4行が脚韻。アーサー文学はガウェインしかまともに知らず、小説アーサー王物語を一巻のみ読んだだけなのですが、これは物語を追うだけでも十分に楽しめました。
格式高くそして美しい宮廷の、誇り高い騎士のお話ならば、そのインパクトは脚韻よりも頭韻の方が強く出るのでしょう。
細かく調べると、北西部方言とロンドン方言の違いも分かると思うのですが、研究してまとめるとなると、ブログよりも小論文になってしまいそう。
先行研究もありそうなので、自分でもやってみたい所です。
中英語は流石にむずい・・・という方も、というか自分も読んでいて難しいのですが、現代英語の知識で分かる範囲もある(はず)ですので、一度原文の美しさを味わうことをオススメします。
「良いなぁ」となる理由は、その中世宮廷文学として放つ特徴の強さにあると考えていますが、これも全部リサーチして書こうと思うと・・・
こんな所でしょうか。
何だかとっ散らかっている気がしますが、何が言いたいかと言いますと、
「英詩には奥深さがあり、それを楽しむのも良い営みなんですよー!」
・・・といった感じです。
機会がありましたら、是非一度声に出して読んでみてくださいね。
書いていたら、またトールキンの歌を読みたくなってきてしまいました。
長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
Hannon le!